
PS業界に関わる有識者の方にインタビューを敢行! 知っているようで知らない業界のアレコレを有識者に聞き出し、ユーザーにお届けしてまいります!
今回の有識者:ほくとう通信社・代表 友道学さん

プロフィール
友道 学 (トモミチ マナブ)
ほくとう通信社・代表。月刊遊技業界誌「fame<フェイム>」を発刊。
1993年 宮城県仙台市で創業。
東北6県、北海道をメインとした業界情報と全国の情報を繋ぐ地域性の高い、価値ある業界情報誌として多くの読者を抱えている。
出身地 埼玉県さいたま市。
ほくとう通信社の主な業務

パチンコ・パチスロ業界誌「Fame(フェイム)」の発刊
本日はお忙しい中お時間をいただきありがとうございます
はじめに、起業したきっかけを教えてください。
東京で遊技業界誌の記者をしていました。ある時、取材で知り合った東北の業界団体の役員さんが来社され、「ぜひ、東北に来てほしい」とお誘いを受けたのがきっかけで、東北の中心地である仙台に行くことにしました。業界組合の方々からのお話しでは、当時は東京の業界情報が北海道に飛び、北海道経由で東北に入って来ていたようで、情報にタイムラグがあるため、リアルタイムでの情報受信の必要性を強く感じられていたのでしょうね。
なかなかの展開ですね。かなり苦労されたのではないですか?
家族もいるので、単身で仙台に行くことも難しい状況から、一念発起して家族で宮城県仙台市に移住しました。東北地域に親戚や友人がいるわけではなかったので、正に家族と業界団体の方だけが頼りでした。
どこに住んだらよいのかから始まり、開業へ向けて何から手を付ければいいのか等、イチからのスタートでしたね。
もともとパチンコには興味があったのですか?
いえ、それまでは一般的なパチンコプレイヤーでしたよ。開業してからは良くパチンコやパチスロを打つようになりました。仕事だと割り切ってのところもありましたが、遊技業の地域性やファン層の実情などを知らなくては“業界ウォッチャー”にはなれないと思い、時間があればホールに足を運びましたね。そこからホールオーナーやメーカーの方々等と知り合いになり、公私にわたるいろいろなお話を聞き、この業界の発展には多くの苦労で成り立っていることを知り、人間としての生き方や社業に賭ける熱い思いなどを学ばせていただきました。毎日がとても新鮮で楽しかったですね。
業界誌『Fame』について教えてください。
全32ページの月刊誌で、今年で32年になります。始めた時からずっと32ページの薄い本ではあるんですけど、私1人でやり切るにはそれぐらいしかできなかったんですよ。
掲載内容は、東北・北海道の業界情報を中心に、全国の動きやその他業界関連の情報を誌面に反映させることで、読者に分かりやすく、身近に感じていただく、顔が見える誌面作りを心掛けています。言うならば「地域密着型の全国誌」という地域と全国のつなぎ役のような存在でいたいと常に思って活動しています。
私が開業した当時は、「○○通信」や「遊技○○」みたいな業界誌が多かったのですが、何だかそういったネーミングは馴染めなかったので、名称を『fame』 <フェイム>としました。正式名称は、「(F)ファースト(A)アミューズメント(M)マガジン オブ(E)イーストジャパン」。その頭文字をとって『fame』にしました。ちなみに、名声と言うような意味もあるようですね。

特色というかテーマみたいなのはあったりするのですか?
キャッチコピーは『愛ある業界ウォッチャー』。東北地方の業界誌は私のところしかないので、私が東北で一番業界の先端にいるウォッチャーなんだという覚悟でやっています。記事を書いているのは私1人なのを皆さん知っているので、裏切っちゃいけない! 責任を持ってやらなければいけない! という思いで。まあそれでもよく失敗してご指摘をもらうんですけど、しっかりと読んでもらえているという、喜びもありますね。
同じ地域や他の地域に競合他誌はあるのでしょうか?
地域に密着したスタイルは私のところだけで、他の地域にはない唯一無二の存在だと思います。
これまでで特に印象深い記事はありますか?
創刊号では、東北6県を管轄する東北管区警察局の担当課長さん(当時)が表紙に載ってくださったことは驚きでした。今では考えられないことですが、それくらい地域全体が協力的に動いてくださり、私の後ろ盾になってくださっていた、という事でしょう。感謝に堪えません。
こうして業界関係者の皆さんが後押ししてくださり、東北・北海道での知り合いが増えていって、・・・・・・エッセイを書いていただいたりもしましたね。

東北ということでやはり東日本大震災の時のことをお聞きしたいのですが
当時の私は自宅のある群馬県に帰る途中で、昼食を済ませてクルマに乗り込んだ時にすごい揺れと風が轟音とともに来ました。すると駐車場の地面がめくれあがったり、亀裂が入ったりとこれまで経験したことのない光景を垣間見て、どのように行動すればいいのか頭が真っ白になってしまいました。それで自宅に行くか仙台に戻るか迷ったのですけど、自宅の家族が心配だったのでひとまず群馬に向かいました。
幸い群馬は大丈夫だったので、そこからガソリンや物資を確保して、新潟と山形を経由して8時間くらいかけて仙台になんとか戻りました。それが3日後かな。そして、4日目の朝から取材に出たのですが、仙台中心街では驚くほどの被害は見られず、少し安心して今度は・・・・・・あの時のショックは大きかったですね。
自分は東京だったけど、それでもショックでしたね
今後の展望ややりたいことを教えてください。
今はこの業界が存続の危機にあるぐらい大変な状況じゃないですか。でも同業他社同士の業界団体だから、ホールさんもメーカーさんもいろんなノウハウをお教えしたり、意見を出したり、提案したりすることはできない。だから全日遊連が主体となってメーカー・販社・関連機器を売られている会社などオール業界関係者が一堂に会して、何か大きなフォーラムをやってほしいと思っています。要するに、個社の存亡をかけたイベントではなく、業界の存続がかかっているのですから、業界としての生き残りを各分野の代表者らが具体的な展望を本音で語り示してくれることで、弱小ホールも生き残りへのヒントが見え、勇気がわくような夢溢れるようなイベントが出来たらいいと思っています。
今の業界は、オーナーさんはオーナーになっちゃっているから、もう完全に小さいお店も大規模のチェーン店も営業にタッチしてませんよね。直接タッチしているのはマネージャーや店長さんクラスですよね。そして店長さんクラスの店舗管理者は失敗を最も恐れますよね。ですから競合するホールの営業状況を良く観察し、客受けしている遊技機を自店でも導入しようと考えるのでしょう。しかしながら、どこのホールも同じような客層がいるわけでもないし、同じような施設の規模や資金力があるわけでもないですよね。自店の営業方針に則した遊技機の導入や経営方針をもっと考えなくてはいけない時期にあります。そう言ったことからも、自店の有効な営業についてより深く認識するためにも、業界の中枢部にいる各団体の代表者が、より良くなる営業の仕方を具体的に提案してくれるような場の設定がされることに期待しているのですが・・・。
なるほど、壮大ですね。他にはなにかありますか?
あと、今後はネットでパチンコができる時代が来ると思うんですけど、時代が変わってもやっぱり人の心っていうかな、人間の持っている情熱だとか恩義だとか人情だとか、そういったものって変わらないと思うんですね。
東北や北海道では、パチンコ店の前で朝市みたいのが開かれているところもあります。漬物やお惣菜、お弁当なども売られていて、パチンコをしに来た人たちがそこでお弁当買って、漬物買って、お昼になるとパチンコ店の休憩室でみんなで食べている光景を見ることがあります。それって、すごくないですか。パチンコをしたい、勝ちたいでホールに来るのですが、休憩室では和気あいあいに食事を楽しんでいる、人との交わりがそこにはあるんですよ。こうした姿が見られるのが、本来のパチンコ店の姿ではないかと思ったりもしています。
そういった部分を考えたら、もっと機械に頼らないで、もっと施設的な何かできないのかなと思ってもいます。
インタビューは以上となります
お忙しい中ありがとうございました!
インタビュー後所感
安定した仕事を捨て、知らない業界に飛び込み、知らない土地に移住し、そしてそこで成功された行動力には驚かされました。また、業界や地域への熱量もすごく、そんな知道さんだからこそ多く人が集まり、多くの協力が得られたのだろうと感じました。今後の業界への想いも強く、私もこの出会いをきっかけに協力して業界ために何かしたい。そう思わせてくれる素晴らしい方でした。

インタビュアー:ピッチャー仲西
パチスロ必勝本・パチンコ必勝本の編集を経て業界に携わってきた28年戦士。数年前に倒れ隠居気味であったが業界の発展を憂い、少しでもユーザーに興味を持ってもらうため再起動
